「クリアのないゲーム」との出会い
1995年、僕の家にプレイステーションがやってきた。最新ゲームに胸を躍らせる僕の横で、親父がなぜか買ってきたのが『アクアノートの休日』だった。普段ゲームなんてほとんどしない親父が、何を思ってこのソフトを選んだのか。仕事で疲れていたのか、ただ静かな海に癒しを求めていたのか。その理由は、今もわからない。
親父がテレビの前からいなくなった後、僕もこっそりプレイしてみた。しかし、そこに待っていたのは「敵を倒す」でも「ゴールを目指す」でもない、ただただ広がる青い世界。何をすればいいのか全くわからず、子供心に「つまらないゲームだ」とコントローラーを置いてしまったのを、今でも鮮明に覚えている。
ようこそ、まぶたの裏の世界へ
当時のゲーム雑誌をめくると、この異質なソフトに対する熱気が伝わってくる。『プレイステーションマガジン』には、こんな一文が躍っていた。
「遊び方はまったく自由。このゲームにはいわゆるエンディングは用意されていない。ゲームをクリアすることではなく、ゲームをプレイすること自体を楽しんでもらおうというコンセプト」
メーカーであるアートディンク自身も、読者に向けてこう語りかけている。「こんなソフトがあってもいいと思いませんか? ゲームは刺激が多いですよね。でもアクアノートはリクライニング、つまり刺激で疲れた体を癒すソフトなんですよ」と。そう、これは戦いのゲームではなく、休息のゲームだったのだ。

賛否両論!当時のゲーマーたちのリアルな声
このあまりに斬新なコンセプトに、当時のプレイヤーたちの評価は真っ二つに割れた。誌面のレビューコーナーには、熱狂と戸惑いの声が入り混じっていた。
絶賛の声(○評価)
- つかれた体に溶け込んでしまいそうな青い世界。
- 本当に目前に魚がいるような動きとグラフィック。
- 魚を何種類見つけられるか、コレクター気分で楽しむのもよい。
戸惑いの声(×評価)
- 目的がないので、せっかちな人には不向き。
- マップが広すぎる。
- 海のなかにいるときに自分の場所がわからない。
まさに、僕が感じた戸惑いそのものだ。編集部も「ゲーム性を求めるより、イメージ通りのんびりやれば満足」と総括しており、誰もがこの新しい体験を手探りで楽しんでいた時代だった。
ただ、そこにいる。それだけの豊かさ
プレイヤーは潜水艦「ホリディ号」に乗り込み、ポリゴンで描かれた海洋生物「P-LIFE」たちと音波でコミュニケーションをとる。自分だけの「漁礁」を作って魚を集めたり、海底に眠る沈没船や古代遺跡を探したり。当時の誌面には「好奇心が海を散歩する」というキャッチコピーが添えられていたが、言い得て妙だ。
巨大なクジラ、白鯨、そして黄金のマンボウ…。オカルト心をくすぐる発見の数々は、確かに冒険心を掻き立てた。しかし、このゲームの本質はそこではなかったのかもしれない。
大人になった今、この海の深さがわかる
あれから数十年。毎日スマホの通知に追われ、常に「何かを達成すること」を求められる日々。そんな今だからこそ、親父があの時『アクアノートの休日』に求めたものが痛いほどわかる。
「これは、自分の心を探索する旅。」
広告のこの一文が、今になって胸に突き刺さる。何もしない時間、ただぼんやりと移ろいゆく景色を眺めることの贅沢さ。子供の頃の僕には理解できなかった「何もない」ことの価値を、今の僕は心の底から求めている。
クリアもエンディングもない、あの静かで広大な海。それは、常に何かに追われる現代人にとって、失われた「心の余白」そのものだったのかもしれない。

あの頃の熱狂をもう一度、手元に。
ブラウン管の向こうに広がっていた、あの静かな海。不思議な浮遊感と、ざわつく心を落ち着かせてくれたあの時間を、もう一度体験してみませんか。
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まとめ
『アクアノートの休日』は、ゲームの歴史において「戦わない」「クリアしない」という新しい価値観を提示した革命的な作品でした。当時はその意味を完全には理解できなかったけれど、大人になった今、このゲームが与えてくれる静かな癒やしの本当の価値を実感しています。もしあなたが日々の喧騒に少し疲れているなら、久しぶりにこの青い世界へ潜ってみてはいかがでしょうか。きっと、忘れていた大切な何かを思い出せるはずです。




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