はじめに:雑誌の中の「トーキョー」と、リアルな僕ら
スマホなんて影も形もなかった90年代。僕ら地方で育った人間にとって、東京、特に「渋谷」や「新宿」は、分厚い雑誌のページの中にだけ存在する、キラキラした異世界でした。そこに載っていた『逆ナン』なんて言葉は、もはやファンタジーの世界の出来事。一体どんなふうに話しかけられるんだろう…なんて、想像すらつきませんでした。
でも、当時の雑誌をアーカイブとして読み返すと、そこには確かに、圧倒的な熱量を持ってストリートに繰り出す若者たちの姿が記録されています。今回は、90年代の雑誌記事を元に、あの頃の「逆ナン」文化のリアルを覗いてみましょう。そう、これはある種の「肉食女子」誕生の瞬間だったのかもしれません。

実録!90年代ストリート『逆ナン』白書
当時の記事によると、女子高生からお姉さままで、幅広い世代の女性たちが「逆ナン」を一種のゲーム感覚で楽しんでいた様子が伺えます。驚くべきは、そのターゲット層や出没スポットが明確に分かれていたことです。
JK・コギャルの狩場は『シブヤ』と『ブクロ』
若さという最強の武器を手に、彼女たちが繰り出したのは、やはり若者の街。その生態は、まるで都会のハンターそのものでした。
- 出没スポット:新宿駅東口、池袋西口公園、そして聖地・渋谷の駅前や千歳会館下。夜9時を過ぎると、彼女たちの活動は活発になったようです。
- 狙われる男の特徴:「やっぱー、日焼けしててー」「サーファー系ってゆーかぁー」「ロン毛でぇ」「茶髪でぇ」「オンナ殴りそうなヤツ」。…最後の、すごいですね。当時のワルでちょい不良(ワル)な雰囲気への憧れが透けて見えます。
- 男側の攻略法:暇つぶしで声をかけてくる彼女たちに対し、ゲーセンや遊園地など「一緒に遊べるアミューズメント」を提供できるかが鍵だったとか。そしてコギャル狙いなら「徹底的に日焼けしろ!」とのこと。シンプルです。

お姉さま世代は『ロッポンギ』と『カブキチョウ』
少し大人になると、舞台は夜の街へ。女子大生やOLのお姉さまたちは、より洗練された(?)ハンティングを楽しんでいたようです。
- 出没スポット:歌舞伎町からアルタ裏、六本木のスクウェアビル下。ゲット・タイムは深夜0時以降。まさに夜の狩りです。
- 狙われる男の特徴:「スーツ着てるとしやすいよねぇ」「バンドマンみたいのはヤだけど」「車乗って来てたらグッドよ」。JK・コギャル層とは真逆の、安定感や経済力が重視されていたのが興味深いですね。
「とりあえず声かけよっか」リアルな女子たちの証言
実際に逆ナンをしていたという女性たちの声も、当時の雑誌には生々しく記録されています。
- 「渋谷の109の前でヒマそうにしてる男のコの中でかっこいい人がいると『今お暇です? 一緒に飲みに行きませんかぁ』って声かけて」(18歳・短大生)
- 「夜に駅のロータリーに行くとナンパ待ちしてる男のコがいっぱいいるんですよ。そのなかでかっこいい人に『いい車だね』とか調子イイこと言ってドライブに行く」(19歳・フリーター)
- 「友達と飲みに行くと『とりあえず声かけよっか』ってゲーム感覚で逆ナンパしますね。声かける時は普通に『〇〇ってお店探してるんですけど知りませんか?』とか言って」(21歳・大学生)
この「ゲーム感覚」という言葉が、当時の空気感を象徴しているように思います。

光と影…逆ナンに潜む『悲劇』と男たちの叫び
しかし、うまい話ばかりではありません。浮かれた男たちを待ち受ける、数々の落とし穴も報告されていました。
ある男性は、OL2人組に誘われるがままについていくと、そこは高額請求のキャッチ・バー。「トイレの窓から逃げた」という武勇伝(?)を語っています。また、池袋で内田有紀似の美少女に声をかけられ、下ネタで盛り上がり「ヤれる!」と確信したものの、さんざん服を買わされた挙句「きちゃった、ゴメンネ」で7万円の出費…という悲劇も。
当時の雑誌はこう結論づけています。
「女子は逆ナンを楽しんでる。ほとんどのコが、相手とHしちゃおうとも考えている。ただし条件があって、『2回目に会うときはHもOK』なのだ」と。
このワンクッション置く感じ、なんとも90年代らしいリアルさじゃないですか?
あの頃の熱狂をもう一度、手元に。
スマホがなかった時代の、ざらついた空気感やカルチャーを、音楽や映像で感じてみませんか?
あの頃の東京の喧騒が、きっと蘇るはずです。
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まとめ:スマホ以前の『出会い』がくれたもの
今、僕たちはスマホ一つで簡単に出会える時代に生きています。それはそれで、とても合理的でスマートな方法でしょう。
でも、この90年代の狂騒を振り返ると、そこには不便さや非効率さの中から生まれる、一種のドラマがあったように感じます。
もちろん、誰もがこんな経験をしていたわけじゃありません。僕のように、雑誌の向こう側の世界として「すげーな東京は」と眺めていた人のほうが多いはずです。それでも、この時代の空気には、確かに人を突き動かす何かがあった。その熱量のかけらを、この記事から感じ取ってもらえたなら嬉しいです。




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