1997年、あの夏の映画館は熱気に満ちていた
1997年の夏。僕らはみんな、映画館にいた。それまで絶対的な記録だった『E.T.』を15年ぶりに塗り替えるという、とんでもないニュースが世間を駆け巡った。その中心にあったのが、スタジオジブリの『もののけ姫』だ。
「自然と人間」という、子供には少し難しいテーマ。それなのに、僕らはスクリーンに釘付けになった。冒頭のタタリ神の禍々しさ、アシタカの腕を侵食する呪いの恐ろしさ。今まで見てきた「ジブリ作品」とは明らかに違う、ヒリヒリとした空気感に、ただただ圧倒されたのを覚えている。

純粋すぎた僕らと、「悪役」だったエボシ御前
子供の頃の僕にとって、物語の構図は単純明快だった。森を破壊する人間が「悪」で、森を守るもののけたちが「善」。だから、タタラ場を率いるエボシ御前は、どうしようもない悪役に見えていた。「なんで森を切り拓くんだ!」って、本気で憤慨してたんだから、純粋だったよなあ。
学校に行けば、誰かが必ずモロの真似をして「黙れ小僧!お前にあの娘の不幸が癒せるのか」と凄み、別の誰かが米良美一さんの主題歌を裏声で歌っていた。僕らは、サンを救い、森を守ろうとするアシタカに自分を重ねていたんだ。

大人になって初めてわかる、エボシの「正義」
でも、大人になってから『もののけ姫』を見返すと、驚くほど景色が変わって見える。あれほど憎らしかったエボシ御前の姿に、胸を打たれる瞬間があるんだ。
彼女はただの破壊者じゃなかった。行き場のない人々を集め、仕事を与え、コミュニティを守る強いリーダーだった。彼女の中には、彼女なりの「正義」と「覚悟」があった。タタラ場で生きる人々にとって、彼女は紛れもない希望の光だったんだ。
もちろん、森を破壊したことは許されることじゃない。でも、彼女の行動の根源にある「生きるため」の必死さを理解した時、単純な善悪二元論ではこの物語を語れないことに気づかされる。
「生きろ。」その言葉の重み
この物語に、完全な善人も、完全な悪人もいない。アシタカも、サンも、エボシも、ジコ坊も、みんなそれぞれの立場で必死に「生きよう」としている。子供の頃は意味が分からなかったジコ坊の食への執着や、あの不思議な下駄にも、きっと意味があったんだろうな、なんて思う。
僕にとってのジブリのツートップは今でも『ラピュタ』と『トトロ』で揺るがない。でも、『もののけ姫』は、人生のステージが変わるたびに、新しい発見と問いを投げかけてくれる特別な作品だ。ヤックルを飼いたいという夢は、今も変わらないけどね。
キャッチコピーの「生きろ。」という一言が、20年以上経った今、ズシンと心に響く。97年のあの夏、僕たちはとんでもない傑作をリアルタイムで体験していたんだ。
あの頃の熱狂をもう一度、手元に。
大人になった今だからこそ、見える景色がきっとあるはずです。
あの夏の衝撃を、もう一度じっくりと味わってみませんか。
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まとめ
1997年は、『もののけ姫』と、その記録をわずか半年で塗り替えた『タイタニック』という2つの巨塔が映画界を席巻した、まさに伝説の年でした。子供の頃に心を揺さぶられた作品を、大人になってから見返すという体験は、忘れていた感情や新しい視点を呼び覚ましてくれる、最高のエンターテイメントだと思います。皆さんの心に残るジブリ作品は何ですか?




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