あの頃、僕らはみんなホウキに跨がっていた
東北の片田舎。週末になると決まって、黒いプラスチックの塊をガチャリとビデオデッキに押し込むのが、僕にとっての一大イベントだった。画面に映し出されるのは、赤いリボンをつけた魔女の女の子、キキ。そう、『魔女の宅急便』だ。
テープが擦り切れるんじゃないかってくらい何度も観た。生意気だけど可愛い相棒のジジのセリフは全部覚えたし、トンボに憧れて自転車で無茶な坂道を下っては、生傷を作ったのも一度や二度じゃない。あの頃の僕らは、性別なんて関係なく、誰もがホウキに跨って空を飛ぶことを夢見ていたんだ。

「12月31日まで」― 僕らを焦らせた”期間限定”の魔法
大人になってから当時の雑誌を整理していて、驚きの事実を見つけた。1997年11月、ついにジブリ作品のビデオが発売された時のことだ。そこにはこう書かれていた。
「第1期4作品は、12月31日までの期間限定生産だから注意してね」
なんだって? あの宝物だったビデオが、まさかの期間限定だったとは。今みたいに配信でいつでも観られる時代じゃない。おもちゃ屋の棚から無くなったら、もう二度と手に入らないかもしれない。そう思うと、当時の親たちが「買っておかないと!」と謎の使命感に駆られた気持ちがよくわかる。
しかも、糸井重里氏が宮崎監督にインタビューした特典映像付きだなんて…。そんなの、もう買うしかないじゃないか。この「限定」という言葉の魔力こそが、90年代の僕らの所有欲をくすぐりまくっていたんだ。

ユーミンは『魔女宅』で”再発見”された
キキがほうきに乗って街を見下ろすシーンで流れる「ルージュの伝言」。エンディングで心を優しく包み込む「やさしさに包まれたなら」。僕らにとって、この2曲は紛れもなく『魔女の宅急便』の曲だった。
でも、当時の雑誌を読み解くと、少し違う側面が見えてくる。これらの曲は、荒井由実(ユーミン)が70年代に発表したもので、この映画によって若い世代に”再発見”されたというのだ。
バブルの象徴でもあったユーミンが、宮崎駿監督のノスタルジックな世界観と融合することで、時代を超えたスタンダードナンバーへと昇華した瞬間だった。親がカーステレオで聴いていた曲が、キキの成長物語を通して、僕ら自身の青春ソングになったんだ。

いつだって僕らの帰る場所「金曜ロードショー」
ビデオが家になくたって、僕らには「金曜ロードショー」があった。2000年代に入ってもその人気は衰えず、テレビ欄に『魔女の宅急便』の文字を見つけるだけで、その週は特別な一週間になった。
何度観ても、キキが新しい街で奮闘する姿にハラハラし、落ち込む彼女に感情移入し、最後には晴れやかな気持ちになる。ああ、そういえば、あの「ニシンのパイ」を孫娘に「私このパイ嫌いなのよね」って言われるシーン、子供心にめちゃくちゃ胸が痛んだな…。
時代はVHSからDVD、そして配信へと移り変わった。でも、作品が持つ温かさや、一歩踏み出す勇気を与えてくれるメッセージは、少しも色褪せない。金曜の夜9時は、いつだって僕らがキキに会える魔法の時間だったんだ。
あの頃の熱狂をもう一度、手元に。
デッキに吸い込まれていったビデオテープの感触、覚えていますか?
キキが届けた希望と、ユーミンの歌声を、今度はもっとキレイな映像と音で。
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まとめ
当時の雑誌をめくると、単なるアニメ映画としてではなく、一つの文化として『魔女の宅急便』が愛されていたことが伝わってくる。「期間限定」のビデオに熱狂し、ユーミンの音楽に新たな価値を見出し、お茶の間で何度もその物語に触れる。僕らの90年代は、間違いなくキキと共にあった。
大人になった今、改めて観る『魔女の宅急便』は、きっと新しい発見をくれるはずだ。仕事や人間関係に悩んだ時、キキが必死に自分の居場所を見つけようともがいていた姿が、そっと背中を押してくれるかもしれない。
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